医療のIT化について

2009年8月の衆議院議員選挙で大勝した民主党。同党を中心に誕生した新政権では、さまざまな分野において現行制度の方針転換を進めている。

2009年8月の衆議院議員選挙で大勝した民主党。同党を中心に誕生した新政権では、さまざまな分野において現行制度の方針転換を進めている。

 その中の1つに「レセプト請求オンライン義務化」が含まれている。選挙前のマニフェスト(選挙公約)において、民主党が「レセプトオンライン請求化は義務ではなく、原則とすべき」と掲げていたからだ。厚生労働省は11月25日、レセプトの請求方法などについて定めた「療養の給付及び公費負担医療に関する費用の請求に関する省令の一部を改正する省令」を制定した。これにより、オンライン請求と電子媒体による請求の両方を「原則」の請求方法として、同列に扱うことになる。

 これまでの連載を通して「レセプト請求オンライン義務化は拙速だ」という医療現場の意見を聞いてきた。特に「システムの導入や運用などのコストを医療機関に負担させ、強制的に適用する」点に批判が集まっていた。実際、オンライン化に対応できずに廃院を検討している診療所も存在する。義務化が見直されると、医療現場が抱える負担や不安は軽減されるだろう。

 その一方で「医療のIT化への流れは変わらない」という声も多かった。特に、これから開業する医師のほとんどが、電子カルテやレセプトコンピュータ(以下、レセコン)などの医療システムの導入を検討しているという。

 どうすれば医療のIT化を効率よく進められるだろうか。

診療所におけるレセプト請求オンライン化対応事例を紹介した前回に続き、今回は、レセプトオンライン化を含め、医療のIT化を推進している病院に話を聞いた。

●「オンライン化は当たり前になる」と導入

 群馬県高崎市にある「医療法人 社団美心会 黒沢病院」(以下、黒沢病院)は診療科目が14科目、病床数が98床の総合病院だ。

 黒沢病院では、1999年にグループウェア「IBM Lotus Notes/Domino」を、2001年にはオーダリングシステムを導入するなどIT化を推進してきた。現行の義務化適用スケジュールの対応期限は2010年4月だが、黒沢病院は2009年7月に開設した「黒沢病院附属ヘルスパーククリニック」(以下、ヘルスパーククリニック)でシステムを一新して、レセプト請求処理をオンライン化した。

 2005年から電子カルテとレセコンを導入している黒沢病院では、導入当時からオンライン化を先に見据えたシステムの導入計画を検討していたという。

 その理由について、黒沢病院の事務部部長 新井良和氏は「レセプト請求業務の効率化と事務職員の負担軽減、審査機関側での処理が容易になる点を考慮し、“将来的にはオンライン化が当たり前になる”と考えた」と語る。

 黒沢病院ではヘルスパーククリニックを開設する際、従来は異なるベンダーの製品を使用していた電子カルテやレセコンなどをソフトウェア・サービスの製品に統合した。

●導入に要した期間は3カ月

 黒沢病院では現在、ソフトウェア・サービスの電子カルテシステム「e-カルテ」、オーダリングシステム「NEWTONS」などを活用している。オンライン化以前はレセコンで電算処理されたデータをMOディスクに保存し、支払審査機関へ提出していた。

 オンライン化に当たり、黒沢病院はまず請求先と連携する専用端末を設置した。既に電子カルテ用に専用回線を敷設していたので、審査機関への登録申請のみで対応した。

 ソフトウェア・サービスの新規導入ユニット 第一導入グループリーダー、垣内 洋氏によると「審査機関との確認試験を実施するなど、その導入期間は3カ月で済んだ」という。

●事務処理作業はどれくらい効率化されるのか?

 黒沢病院では1カ月当たり平均で外来診療5000件、入院300件のレセプト請求を行っている。レセプト請求作業は外来10人、入院4人の事務スタッフが担当していた。

 紙レセプトでの請求では各レセプトの点検作業から集計・総括作業を事務スタッフが行っていた。スタッフ総出で対応した場合でも、1日3時間程度の残業を3日間余儀なくされていたという。新井氏は「集計作業だけでも3~5人掛かりで1日半かかっていた。定例作業とはいえ、その作業にはトータルで200時間かかった」と当時の状況を振り返る。

 レセコン処理に切り替えた段階で、集計・総括の作業は一切なくなり、点検業務に関しても、これまでの3分の1の時間まで削減できたという。黒沢病院では「毎月初めにはスタッフ全員で休日出勤していたが、今では上長の確認のみで済む」(新井氏)など、医療事務処理のシステム化によって作業の効率化が図られた。

 黒沢病院の事務部主任 相馬成実氏は「システム導入自体はスムーズに進んだが、導入当初はセキュリティ対応に手間が掛っていた」と語る。情報システム部の常駐スタッフ4人が各端末のセキュリティ対策や職員へのセキュリティリテラシーの周知に苦労したようだ。

 黒沢病院では、院内全体への周知・普及のために「ISO9001:2000」に基づいた基準体制を構築し、定期的にトレーニングを実施した。新井氏によると「電子カルテ導入時は単純な操作ミスもあった。しかし、再発を防ぐ体制やフローの確立とトレーニングを実施することでそうしたミスがなくなった」という。

 また、医師によっては学会用の資料などのデータを活用したいというニーズもあったが、データの閲覧や取り扱いの手順に関する細かいセキュリティ対策も行ったという。黒沢病院は2006年に「プライバシーマーク」を取得しており、情報漏えいリスク回避への対策も行っている。

●医療クラークを採用して「人員配置の最適化」を実現

 また、新井氏は「医療事務処理のIT化によって、院内の人員配置も最適化できた」と語る。従来、看護師は自身の看護業務に加えて、診療報酬計算以外の事務処理を行っていた。黒沢病院では、電子カルテの導入と併せて6人の「医療クラーク(医療事務員)」を採用し、看護師に代わって医療事務処理を任せている。

 医療クラークとは、外来あるいは病棟において、患者と医師や看護師との間に立ち、患者へのさまざまケアやサービスをする専門職である。その業務内容は入退院の手続き、食事・物品の手配などの事務的なことから、入院患者の診察室や検査室への案内、手術や検査のスケジュール管理など多岐にわたる。

 黒沢病院では、医療クラークが医師の代わりに電子カルテへの入力を行っている。これまでは、電子カルテの操作に慣れていない年配の医師や非常勤の医師などの診療時間が長くなることもあったが、代行入力は診療時間の短縮化にも一役買っている。また、医師によって異なっていたカルテの記述内容が統一され、「より情報の共有がしやすい質の高いカルテが作成できた」という効果も出ているという。

 新井氏は「医療クラークの導入によって、診療科によっては看護師の配置が不要になった科もある」と語る。また「医師のサポートまで行っていた看護師の負担が減り、自身の看護業務に専念できるようになった」と、その採用効果を実感している。さらに「今まで必要のなかった人員が増えた部分のコストは掛かる。しかし、医師や看護師、患者へのサポートなどの費用対効果を考えると、コストよりもメリットのほうが大きい」とも語る。

 診療所での電子カルテやレセコンの導入が進まない理由は、その導入/運用コストの問題もさることながら、「システム化のメリットが感じられない」こともあるだろう。しかし、病院の規模が大きくなればなるほど「事務処理の人的コストの削減、人材配置の最適化」などのメリットを実感しやすいのかもしれない。

●病院経営の判断材料としても活用できる

 帝国データバンクの「全国企業倒産集計」(2009年8月報)によると、2009年8月に全国で発生した病院・開業医の倒産件数は2件で、2009年1~8月の累計では40件になった(前年同時期は21件)。また、8月の負債総額は4億1000万円で、1~8月の累計額は209億300万円になった。病院・開業医の倒産件数は2001年以降、30件前後で推移していたが、2007年には48件と前年の30件から急増した。2008年は35件に減少したものの、2009年4月には1カ月間だけで9件が発生するなど、依然として高い水準で推移している。

 新井氏は「医療機関が経営のみを考えることはないが、収益がなければ良い医療機器を購入したり、良い医療を提供できない。また、従業員を抱える組織でもあるため、その経営戦略に当たっては経営状態を正確に判断しなければならない」と語る。

 さらに「医療機関の収入の元は保険請求だが、複雑で多岐化する診療報酬改定や『DPC(Diagnosis Procedure Combination)』といった新たな制度への対応が必要になってきた。こうした現状の中で“正確で漏れのない”診療報酬を実現するためには、医療事務処理のシステム化はとても重要だ」とも説明する。

 垣内氏は「診療の迅速化や人の流れを効率化することで多くの患者を診ることが可能になる。また、レセプト請求のようにデータの集計がスムーズにできるようになる」と語る。

 現行の診療報酬制度は、2年に1回の割合で大きな改定が行われる。医療事務処理をシステム化してこうした制度変更にも柔軟に対応するサービスを利用することで、より現場の負荷を軽減することにも役立つようだ。

 それでは、患者にとってのメリットは何なのか?

 メリットとしては、医療システムのネットワーク化による「“地域医療連携”体制の構築」が考えられる。

 地域医療連携では、まず利便性の高い近くの診療所で受診し、より高度な検査や治療が必要となる場合には、高度医療に優れる地域の中核病院を紹介してもらう。その後、症状が安定したら、また近くの診療所で経過を見るという仕組みだ。紹介された医師が診察する際に、患者の基本情報や診療・処方・検査履歴などが正確に把握できていれば、診断の精度向上や禁忌薬のチェックなどが可能になる。その実現のためには、情報共有しやすいシステム化と各医療機関を相互連携するネットワークの構築が必要だ。

 黒沢病院の「地域医療連携室」では、院内システムだけでなく地域内のネットワークを活用した、地域住民が“かかりつけ”としている診療所などの医療機関との医療情報のデータ連携を進めている。また、ヘルスパーククリニックを「疾病予防・予防医学」の中核施設として位置付け、人間ドック・健診施設「高崎健康管理センター」や疾病予防運動施設「メディカルフィットネス&スパ」を設けるなど、地域住民の健康増進対策の取り組みを進めているという。

●政権交代でも“医療IT化”の流れは変わらない?

 レセプトオンライン請求義務化や医療情報化施策は、政府が2006年1月に発表した「IT新改革戦略」の重要施策として位置付けられている。前述した医療情報化施策は、経済産業省が主導となり「生涯に渡る健診結果を電子データとして継続的に収集し、適切に管理するための仕組み」としての実証実験が進められていた。

 新井氏は「政権が変わったことによって、医療制度や方針が今後どうなるかが気になる」と語っていた。新政権は、IT新改革戦略で掲げた「いつでも、どこでも、誰でもITの恩恵を実感できる社会の実現」という理念をどう引き継ぐのだろうか、今後の動向に注目したい。
 
出典: 12月1日15時47分配信 TechTargetジャパン


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2009年12月16日 07:03

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